文:寺田 侑 写真:飯田 鉄 (株)冬青社 2007年発行
という写真文集を、あるきっかけで購入しました。私はこの本にとてもリアリティーを感じます。
この本の内容は埼玉県の川口市を舞台にした、フィクションなのですが、私がこの本にリアリティーを感じる理由として、希望と絶望が描かれている様に思えるからです。
今回の課題は「リアリティーのある映像(イメージ)」を取り上げる事ですので、この本に掲載された写真についての意見を以下に述べます。この本には全部で四十数枚の写真が掲載されています。風景や人物が様々なフォーマットで撮影され、レイアウトされています。
これらの写真を見る度に、私はロラン・バルトの著書「明るい部屋」に記載されている言葉で、<それはかつてあった>という記述を思い起こします。私はこれらの写真を見る度に、記録としての確からしさを感じるのです。
先日、写真表現に於いて、写真の撮り手としての写真家の存在と、写真に写される被写体の存在によって、写真表現は力強く明確にされるという論旨を、ある写真家の先生に言われました。
ファンタジーという言葉を辞書で調べると、幻想や空想という意味です。フィクションは作られた物ですが、私はその内容が記録以上の現実味(リアリティー)を含んでくる場合、ある種の人生観(希望や絶望感、人間性のようなもの)に、読み手がファンタジーを抱くのではないか?と考えます。この場合のファンタジーとは、フィクションに自分の仮の姿を投影するという意味です。
私はこの本に記載された写真の持つ、記録としての確からしさ=力強さは、読み手の現実と空想の狭間にある、ある種の人生観にあるのではないか?と考えています。
オオハシ
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