2011年2月5日土曜日

最終報告

こんばんは、野口です。
最終報告の投稿が大変遅くなってしまいました、申し訳ございません。

ドキュメンタリーの最初のイメージは記録。
同時に、ドキュメンタリーは真実というイメージもありました。

しかし、そうだとは限りません。
当たり前ですが、例えば映像には撮影した人の主観が入ります。
ファウンドフォトのように写真を選んだ場合も、それは同じです。

私は「かもめ食堂」のふんわりした雰囲気の映像が好きだったのですが、
授業を通して、何だか自分は誰かに操作されているのではないかという気分になり、不思議な気持ちになりました。(少し癪な感覚です。)
でも変わらず、あのくすんだ感じの雰囲気は好きです。

また議論では、皆が自分の言葉で表現している中で、
私は自分の言葉を現したくない時がありました。
作品制作は、自己表現の連続だと思います。
デザインする時とはまた違った感覚である、色々な世界があることを感じました。

また、理解することが前提ではない映像について再認識しました。
周りにありふれている映像は、理解できるものが多く、
映像を見た時にすぐに理解できない場合は、私は気持ちが悪いと思ってしまいます。
しかし理解できなくても、映像は存在できます。
もしかしたら、後になって分かるのかもしれません。
その一見当たり前の感覚は、私にとってとても表現の自由を感じるものでした。

授業の中では皆の知識の量や、日常を詳しく見つめる姿勢に驚き、
私ももう少し、自分というものを固めていきたいと思いました。

以上のように、ニュードキュメンタリーの授業は、今までの日常に、別の意識が働くものでした。
日常を色々な視点で切り取り、これからも新しいことをもっと知りたいと思います。
私にとって、それがニュードキュメンタリーです。



最後に最終授業時に発表したポートレートを提出します。





これは二年前のプリクラです。
シングル(恋人なし)の大学の友達とクリスマスに集まる
「シングルジングル」という会の前に、中学の友人と撮ったものです。

それとまったく同じ構図で、今年に撮ったものがこれです。











さらに友人と服と場所を交換して撮ったものがこれです。










正直、一番気になるのはプリクラの性能の変化です。
もう少し古いプリクラを使ったら、より変化が大きくて面白いかもしれません。
撮影は、まるでスポーツをしているような忙しさでした。







恋人同士で服を交換して写真を撮る活動
「switcheroo」http://sincerelyhana.com/index.php?/projects/projects/を参考にしました。
自分の自己表現を行う場である洋服を、誰かと交換すると、
自分や相手を見つめるきっかけになります。
それまで見えなかったものが見えてきます。

こちらの投稿も遅くなってしまってすみません。
一年間ありがとうございました!!

野口昌代

0 件のコメント:

コメントを投稿